医療費亡国論の弊害とは?

医療費亡国論の弊害とは?


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1970年代に起きた医学部の大量新設に関連して起きてきたのが医師過剰論議である。戦後の大幅な人口増や無医村の解消を目的に政府は、1970年から1979年までの間に34の医学部を新しく設置した。

 

前身の医師養成機関を持たないのがこの時期に新設された医学部の特徴で、他の大学に全面的に人材の依存をしていたが、しかしそれでも、私立大学の医学部が14、国立大学医学部が8、それに加えて産業医大と防衛医大(この2つは大学校)が74年までに新設された。

 

医療費亡国論の弊害とは?

 

この頃になると医師過剰を指摘する声が医療業界の中で高まってきた。こうしたことを受けて、医学部新設は1974年以降スピードダウンすることとなる。新規の私立大学医学部の開設が政府から許可されなくなったのが具体例だ。

 

ところが、同じ年には一県一医大構想を時の田中角栄内閣が発表し、これが世論に歓迎されたため、国立大学の医学部に限定して政府は毎年2つ程度の新設を行った。79年に琉球大学に医学部が設立されたことで、最終的には一県一医大構想が実現することとなった。

 

この頃、失業の問題がすでに医師となっている人々の間で話題となり、医師誘発需要説(医者の増加に伴って医療費も増加するという説)が大真面目に議論されるようになった。この説が礎となって、医療費は看護師の増加に伴って増えることとなった。

 

病院の数が増加するに伴って医療費も増加するという奇説が厚生労働省のコントロールの下で囁かれ始めた。医療費増大説とも言い換えられるのがこの医師誘発需要説であるが、この説は米国の医療経済研究者らのグループによって1983年に発表された学説に基づいていた。

 

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この研究では10%医師が増加しても外来受診の頻度の上昇率はわずかに0.6%に過ぎないとされていたわけだが、医師の失業に反対の医療者団体や医療費の削減を念頭に置いていた厚生省(当時)はこの学説に飛びついた。

 

この学説が発表された年にはのちの事務次官となる吉村仁厚生省保険局長が講演や論文、国会答弁などで医療亡国論を主張した。この論を基にサラリーマンの2割自己負担や医師優遇税制改革などの制度改正に取り組み、膨張する医療費に歯止めをかけようとした。

 

吉村次官亡き後も厚生官僚はその遺志を継ぎ、武見太郎退陣による日本医師会の影響力の低下や中曽根内閣の増税なき財政再建路線という追い風もあって、医療費抑制方針の公的保険医療政策へと方向性をシフトさせることに成功した。

 

 

医療費の削減を政府が進める拠り所となっているのが医師誘発需要説であるわけだが、本国の米国や北欧においてはとっくに否定されている。にもかかわらず、我が国ではこの説を信奉するものが多くいる。

 

米欧においてこの説が否定された理由はここでは割愛させていただくが、医療費が医師の増加に伴って増え、これが財政の再建に対して負の影響を与えるという説の信奉者は一向に減っていない。

 

 

コメディカルや医師の不足、後期高齢者医療費問題はこうしたことに起因しているともいえる。医師やコメディカルを増やせば医療費の削減は実現しないと結論付けられ、医学部の定員を最大時と比較して7%減らすこととなったのが1984年以降のことだ。

 

その後に行われた村山内閣による95年の少子高齢化対策、医学部定員の削減に関する97年の閣議決定、小泉内閣において行われた20002年からの骨太の改革によって医療崩壊が現実のものとなりました。



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