日本の医師不足に対する国策について

日本の医師不足に対する国策について


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厚生労働省は自らの論を補強するため、詭弁とも受け取れる奇怪なキャンペーンを行っている。7700人が毎年医師の資格を所得し、退職者を考慮に入れても年間で3500人から4000人は増加しているため、医師の数は近い将来に過剰になるというのだ。

 

厚労省の医療動態調査では、我が国の医師免許所得者は05年の統計で29万人、人口1000人当たりだと2.0人となる。しかし、OECDに加盟している30か国の平均医師数は人口1000人当たりで2.9人だ。厚労省の医療動態調査には、我が国の医師免許所得者数は先進国でも最低ランクの位置にあると書かれてある。

 

日本の医師不足に対する国策について

 

10万人の人口を抱える地方都市に医師が200人程度居るという計算になる。あまり知られてはいないが、医師数で見ると我が国は世界でも最低の水準にある。日本の1000:2よりも医師の数が少ない国はOECDの調査によると、トルコ(1.5)、メキシコ(1.7)、韓国(1.6)くらいのもので、

 

サミットに参加している国の数値を見てみると、フランスとドイツが3.4でイタリアが4.2、オーストラリアが2.7、イギリスが2.3、米国が2.4、カナダが2.1であり、2.0の我が国は最低です。

 

 

さらに、日本は医師の数だけでなくコメディカルについても数が足りていないわけだから、医療後進国とも言うことができる。それでも尚、世界一の長寿国なのが日本であり、WHOは2000年に総合評価(費用負担の公平性や平均寿命などで評価)で世界一に認定した。

 

医師数と同様に、我が国の国民医療費は先進国と比較して少ない。2005年度には、医療費約33兆円のうち、約8兆3000億円を国庫が負担した。つまり、医療費や医師数が少ない状況にありながら、質の高い医療を国民皆保険という制度の下で提供してきたのだ。

 

この結果、長寿大国として世界一にまでなることができたのである。歴史的に見た場合、医師不足は必然的なことであったということが分かる。一県一医大構想の考えに基づいて医師数の増加を図り、医師過剰とまで言われた一時期があったが、当時と今では医師の総数にさほどの変化はない。

 

であるにもかかわらず、なぜ医師の不足が実感されるのだろうか。大学医学部を卒業して医師国家試験に合格しなければ、我が国で医師になることはできない。約80の大学医学部が日本には存在しており、約8000人が毎年卒業している。この8000人の中で医師国家試験に合格するのは約90%で、多くの合格者が医師として活躍することとなる。

 

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このように、国家試験の合格率と医学部の定員という2つの国策によって医師の養成が左右されている。上記の2つの内で直接的に医師の過不足に影響するのは医学部の定員数である。長期に渡って90%余で推移しているのが医師国家試験の合格率なので、これが医師数の供給に実質的な影響を与えているわけではない。

 

国が医学部の学生数をコントロールするというのはほとんど類例を見ないことだ。医学部と同じく難関とされる法曹界と比べると医学部の現状がよくわかる。キャリア官僚や法曹界に進出できないのが法学部の卒業生だ。そのほとんどが役人やサラリーマンになっている。

 

法学部の入学生が裁判官や弁護士になれるわけでは必ずしもなく、国家公務員上級試験や司法試験の合格率が法曹界への人材供給量をコントロールしているというのが現状だ。仮に、医師国家試験の合格率や医学部の定員数を減らせばどのようなことになるだろうか。

 

 

ある医療評論家によれば、もしもこうしたことが行われれば、医学部の卒業生の中に医師になれない、あるいはならないという人が急激に増加するのは確実です。医師以外の職業を選ぶ人が増えるはずで、医師試験の浪人者も出てくるでしょう。

 

現状の制度の下でも弁護士や製薬企業の研究者、あるいは医療関係のコンサルタントになる医学部の卒業生がいます。医学部の出身者の中には国会議員や作家になる者も多く、医療以外の分野において医学の素養を身に付けた人間が活躍することは決してマイナスとは言えない。

 

しかしながら、他学部に比較して医学部の学生の養成コストは高く、大学や親の負担は医学生が増えることで重くなる。こうしたことの兼ね合いが今後も問題となっていくでしょう。医師数のコントロールに国家が足を踏み入れたのは、富国強兵政策実現のために明治政府が大量の軍医を要請する必要があったためだ。

 

医学部が増設されたのは明治期と大正の10年ごろ、そして昭和の20年ごろだ。
当時は日清・日露戦争、第一次・第二次大戦が勃発し、軍医を大量に養成する必要があったわけだ。

 

 

医師人事制度の消滅

 

旧大蔵省のキャリア制度に医師の人事制度が似ているというのも非常に大きな特徴だ。医学界の中枢となる旧帝大医学部の卒業生などは、地方の大学病院において主要となるポストを経験し、概ね40代で新設された医大の教授に充てられる。

 

母校の大学の教授には上記の医大教授たちの中から選ばれたものが戻るという競争のシステムが構築された。これは、30歳前後で地方の税務署長となり、本省へと戻る旧大蔵省のキャリア完了と似ている。

 

この制度に対する批判があったのも事実だが、若いエリートが地方を回り、その地で人脈を形成したり現場の問題に直接接したりすることができた。しかしながら、医学部の創設はこのような制度の下では抑制されることとなり、新設校の設立にとって足止めとなってしまった現在では自然的に消滅した。

 

その結果として、医学界の重鎮の中に地方の実情や医療の現場、医療行政の現状について知識を有しないという人が増えた。こうした背景があったために、医師の数が現実に不足していても奇妙な空論(偏在論)が幅を利かせているのだ。



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